あげる

「すごい!」と思うと共有したくなりません?なるんです。

ミニカンファレンス「ものづくりの「哲学」〜テクノロジーと思索の交差点〜」にいってきた。

続けるって本当すごいな、と思う。「疲れてるからまた今度」で書いてこなかったけど、今日は風邪もましになって久しぶりに色々波に乗ってるから調子乗ったまま書こうと思う。やっぱり私こういうのが好きなんだろうな・・・と思わされたなぁ。

 

今日はWIRED主催のミニカンファレンス「ものづくりの「哲学」〜テクノロジーと思索の交差点〜」に行ってきた。

私は昔から美術はてんでだめで(占いだと芸術肌と言われるの全く信じられない)、クラフトマーケットとか行って「手作りできる人すげー!!!」ってなってテンションが上がる人間なんだけども、だからこそ、ものづくりを支援したい気持ちがすごくある。

なんていうか、すごく頭悪そうだけど、何よりもまず「何かを生み出している」って最高にかっこいいと思ってしまう。それが目の前にあって、それがかっこいいってもうそれは最高でしょう。

この手の話をすると役割分担の話をされ、「だからお前はお前の場所で咲きなさい」と諭されるんだけそれはわかってるから大丈夫。だからこそ私は、ものづくりをする人たちをサポートするってことをやりたいなあ、と常々思っていて、中でも、日本の工芸に関心があって、なんかそこらへん繋がることないかなあ、とぼんやり思いながらミニカンファレンスに行ってきたのでした。前振りが長い。

 

●前提知識:今のものづくりを取り巻く環境

すっごいざっくりまとめると2010年くらいから、これまで自分の手で組み立てるってことができなかった人たちがものづくりをしやすい環境になってきている。
まず、 3Dプリンタという、パソコンでソフトを使って設計図を書いたものを実際に作ってくれちゃうプリンタが登場したおかげで、ものづくりがとても早く・楽になった。
さらにシェアリングエコノミーという、「一人で持つにはコスト高いけど、それをみんなで共有して使えばコスト安くね?」という思想のブームが後押しして、3Dプリンタやらその他工作器具を不特定多数に共有するラボなんかができてきている。DMM.makeなんかは有名。
さらに、クラウドファンディングという、個々人から少額ずつでもお金を募る形で資金を工面することもできるようになったおかげで、ものづくりをするための資金も以前に比べたら容易に調達できるようになった。ハードウェアのクラウドファンディングだとkickstartarというのが有名らしい。初めて聞いた。

個々人がなんでも気軽に作れる時代になって、"maker movement"がきた、という話を元WIRED編集長のクリス・アンダーソンがしたのが2012年頃。邦訳も2012年にされて発売された『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』に詳細が載っている。読みやすくて楽しかったのでオススメ。

日本でも、ハードウェアで起業をする人増えているらしい。

 

●カンファレンスの概要

登壇者は、WIRED日本版の編集長若林さん、Techshop Japan代表の有坂さん、ブレインポータルの高橋さん、慶應大学SFCの学生でモデルのRISAKOさん、Hardware Clubのジェリーさん。

編集長の若林さんが仕切って会話が進行する形のカンファレンスだった。

 

●日本におけるmaker movement

maker movementっていうのは日本ではやっぱりそんなに流行らなくて、起業数も2015年をピークに下がってきつつあるらしい。

起業できても、量産できず、配送の遅延が発生するというのが一個大きい問題としてあるらしい。それに対してはジェリーさんが、アメリカだときちんとマイルストーンを置いて売り切る形で信頼も重ねて徐々に拡大していってるところがあるっていうお話をしていた。計画性の問題・・・なのかな・・・?

あとは販路がないっていうのも問題としてあるっぽかった。

一方で日本でのmaker movementはそもそもが企業として大きくなるとかIPOとかを目的にされることが多くはなくて、ただ生活を充実させるためにファブラボに通う人がいたり、定期的に*個作って必要な人に届ける、であったり、単純に作ってみたいだったり。なんか、そういう「贅沢な形」(byRISAKOさん)が多いし、それはそれで純粋でアリなんではないか、というお話だった。

とはいえ企業がプロトタイプを作るためにTech Shopを使うこともあるんだそう。いろんな人が来るからそれはひとくくりにできない、とはTech shopの有坂さん。

若林さんとしてはそういうのを「なんとなく」だと評していて、それはそれでとてもわかる感覚だなあと思った。

 

●今後の日本のものづくりってどうなっていくのか

極論、理想形としては、個々人がなんでも作れるようになるから「高品質でいいもの」は企業が作って、そうでないものは個々人が作れちゃうんだから淘汰されるんじゃないか。

多分そこに至るには、企業による同一のものの大量生産の今の時代から、多様化少量生産の時期があって、個々人の自給自足の世界になっていくんだろう、と段階がきっとある。でも、そうなった時に、今は大量生産である程度の売り上げを見込めるからプロトタイプをたくさん作って品質を担保できている中で、多様化少量生産の時期にどう品質が保証されるんだろう? とRISAKOさん。

まあその思想と理想形はわかるんだけど、たぶん、細かい話をしていくと、結局デザインできない人たちやその設備を持てない・持ちたくない人たちもたくさんいて、
きっと、そういう人たちのために雛形が氾濫するだろうし、氾濫する中から取捨選択したくない人たちが生き残った体力ある大企業からものを買っていくんだろうなと思う。アパレルは特にそういう形が想像しやすい。

個々の物については、やっぱり少量生産少量販売になっていくんだろうなと思う。そこにうまく食い込んで販路を確保してブランディングしていける中小企業か、複数ブランドを持つorうまくサプライチェーンをコントロールできるなどで工夫して生き残れる大企業が残っていくんかな。

個々の物について結局便利なものを誰かが作ってくれる、その環境に甘んじる人間が大多数だと思うんだよね。自給自足社会の理想はわかるけど、それを「したい」人ってどんくらいいるのかなってお話で。

面倒じゃん絶対。自分で考えて何かしていかなきゃいけないんでしょ。嫌でしょ。

だからこそ、人に寄り添った、本当に必要なものだったり、べんりだったり、愛着がわいたりする、なんか、そういうものが残っていくんだと思う。

 

でも、個々人もたくさん作っていける中で、情報が氾濫する中で、いいものをどう伝えていって生き残っていけばいいのか、って
やっぱりそこは選ぶのめんどくさがる私みたいなのが行きたくなるリアル店舗だったり、目に止まるweb広告だったり店舗だったり、信頼してる人からの口コミだったり、
それはブランディングマーケティング・コミュニケーション全体の話になっていくのかなやっぱり、と思う。

結構複数のレイヤーの話が絡んでくるところだから丁寧に見ていかないといけないけど、ものづくりは素晴らしいけど素敵だけど、確実に戦う相手が多くなっていく。

本当、自給自足でOKになったら確かに私買わなくなる気がするもん。特に服。こだわり始めたらこれがいい!ってなってしまう人間なので、簡単に作れるなら作っちゃいたい。

反動で多分ユニクロとかもかなり売れるんだろうけどね。選ぶのめんどーい考えるのめんどーいユニクロでいいー、みたいな。(disってないよ?)

 

●ものづくりの哲学→倫理観

面白い話たくさんあったけど時間もあれなので、あともう一個面白かったのだけ書いて寝る。

それはものづくりの倫理観。

質疑応答で出た話だったんだけど、例えば、スマートフォンが出て、SNSが発達して、人の生活ってだいぶ変わったじゃないですか。ハードにしろソフトにしろ、ものを作るっていうのは意図するとすまいとにかかわらず、生活を変えることがありうる中で、
誰でも何でも作れるようになった中で、そこってどう考えていくのか、というところ。
またこれRISAKOさんなんだけど、「すごく共感する」と。「仕事で大阪に行くことがあるんだけど、二時間半とか三時間かかるんですよ。それがリニアできたら一時間とかになって、そうすると、私仕事で大阪から帰ってきてからまた仕事しなきゃいけなくなるんですよ」

本当、これに集約されていると思う。「洗濯機だってできて楽になったと思ったのに働けって、それって何なのって思う」「デジタルウェアと言って、デザインを変えられる服っていうのがあって、それの場合は、所有する服が減るってだけなんですね。テクノロジーっていうのはそういう、人の生活をミニマル(持つものを必要最低限にする)にしていくという形で寄与するのは良いものだと思うけど、そうじゃない部分がすごくある。人の生活を「よく」するものを見つけて行くしかないんだと思う」

あー、すげえ共感する、と思ったのがこれ。

結局それはさ、テクノロジーが悪い訳ではないんだ絶対に。

テクノロジーを受けてどう動くかっていうのは、それは経済システムやその時期の社会の趨勢の問題であって、例えば洗濯機が出てきてもお金のある家庭の主婦は楽になっただけなはずなんだよね。

誰でも作れるようになってそれらの形をある程度形作って行く人が誰もいなくなるっていう見え方もあると思うけど、それははるか昔からそうだった訳だ。誰もそんなの望んでないよ、っていう自体がたくさんある訳だ。でもそれはテクノロジーのせいだけではない。決して。そこは結局社会を形作ってどう生きて行くか、人々の問題なんだ。逆に「これが理想でしょ?」って押し付けてくる体力がない人たちが自分の必要に迫られて作って行けるようになるから、そういう自体もへるきがするんだけど、安直すぎるかな。

 

なんかね、こういうことを考えるのが好きなんだ。

ロジカルっぽく哲学っぽく今後どうなるのか、それってどういう意味があるんだっけとかって考えるのが。

にしてはすげえ甘いけど、そういう話をしているのを聞いてすごく久しぶりに空気を吸った気がした。やっぱ転職するんじゃなかったかな、とか思いつつ、楽しかったのに体力の限界で懇親会パスして帰ってきてしまった。(特に何かやりたいことがある訳でもないのでああいうところで誰とどう絡めばいいかわからず、何か意思があってきてる人と話すのはその人の邪魔をしてしまっているようで気がひけるんだよね。どうするのがいいんだろう。)

でもすごく楽しかったしまとめれてない面白い話もあるのでまたまとめたい。