あげる

「すごい!」と思うと共有したくなりません?なるんです。

モロモトタクマさん

スーク紙市で最初に出会ったアーティストさんその②

モロモトタクマさん。

テンション上がりすぎて全く写真撮ってないのですが

一筆書きで書いたものを切り絵にするのがメインのアーティストさん。

 

最初に、本人が「ただの息抜き」とおっしゃるポストカードが目に入って、
透明なプラスチック?に一筆書きで書かれたかっちょいいレアな動物たちに私と相方は歓喜でした。
透明なので、光の当て方によっては影ができて尚更カッコ良いという…!

写真撮り損ねましたが、今メインでやられている抽象画みたいな一筆書きを立体に起こした展示が天井にあって気づいたときはびっくりしました。

作ったものを分解したり立体に起こしたり、と色々と試していらっしゃるとのこと。

今後も楽しみです。

今年はもうイベントでないようですが、前回のアカマルシェとかも出てたそうなので

また出会えると良いなあ。 

 

https://www.instagram.com/p/BVxEnsKAkGp/

 

キイロノハサミさん

先週、大阪阪急うめだスークにて「紙市」なるものに行ってまいりました。

そこで出会ったのがタイトルの「キイロノハサミ」さん!(クリックでサイトへ)

切り貼り絵をやられているのですが、びっくりするほど細かくて可愛い作品を作られていて。ご本人もとても可愛らしい方なのですが。

500円玉より小さいくらいの切り貼り絵です。

一つずつ手作りで作ったのを写真に撮ったり、

私の写真にはないですが、ボトルに入れて売っていたりします。

https://www.instagram.com/p/BVxBDzdAo46/

 

https://www.instagram.com/p/BVxCckggGTC/

とりあえずポストカード買っちゃいました。

童話をモチーフにしているものが全部ほんっと可愛くて多分10分以上ギャースカ騒ぎましたね。ええ。

 

一番左上のものは神戸の「Saita!Saita!」さんとコラボしているもので、

裏面にレシピが書いてあるのです!

 

可愛いし素敵だしで買っちゃいますよね。

神戸行くときは絶対Saita!Saita!さんも行こうと思いました。

 

神戸メインに活躍なさっているみたいなのですが、

東京にも個展開きに来てくれないかなあ…。

 

写真以上に現物見ると興奮します。ほんっと凄いです。

The Way Home

ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(http://www.shortshorts.org/2017/ja/about/)で見た「The Way Home(http://www.shortshorts.org/2017/prg/ja/1060)」が印象的だったので書く。


※ネタバレ注意

内容をざっくりまとめると、難民申請が通らず強制送還されるとこを逃げ出す、というものなんだけど

弁護士?から難民申請が通らなかった旨伝えられた時に主人公が

「見捨てるの?」「見てもないのに体験してもないのにわかったなんていわないで」「あなたとわたしの違いはなによ(わたしのなにがわるいのよ)」

という旨の発言をするんだけど、その全てが刺さりまくるわけですよ。

最後の最後「What's the difference between you and me?」て観客に問いかける主人公の大写しで終わるんですが

もう、泣くしかないわけですこっちは。

「ごめんなさい」しかないんです。

たまたまわたしは今の時代の日本に生まれて目的意識も持てずフラフラぬくぬく生きてて

あなたたちが悪いことはなんもなくて。

加担してるつもりはないけど石油問題とかは無自覚に何か関わっているとこもあるし、なにもしてないという意味では加担してるという面もあり。

ごめんなさい、なんだよなあ。

でも結局それを問われて、自分がなにすればいいか自分で考えて行動まで起こせる人って、どれだけいるんだろう、って思うんです。

弱者のいいわけですが、でも、一人一人がそんな簡単に行動に移せていたら世界はとっくの昔に平和になってるとおもうんです。


戦争を防ぐにはあまりに無力で。


あたしはとりあえずずっと「難民」はひっかかってるんだから、それに対してアクションは取ろうと思った。ちゃんと頭動かして、ね。

「蜷川実花 うつくしい日々」

ブログに書いてなかったトピックス4つくらいはあるんだけど、そのうちの一つ。

 

5月10日〜19日というシビアな会期で、原美術館で開かれていた蜷川実花さんの個展に行ってきました。

お父様が病気になり入院して亡くなった日前後の写真展で、
「ああ、これは本当にあったことで、本当に"日々"の延長の終わりがあったんだな」
という気持ちになって、とても、怖くなったのを覚えています。

それを狙ってだろうけど、なんでか、展示されていた女性向けの雑誌がとっても「日常」感があって、すごく印象的だった。

風景写真が本当にうつくしい、どこにでもある、本当にどこにでもある風景で。木々が綺麗で、無機質な街は無機質なままで。でも光がやわらかくて。

壁に時々入る文章が印象的に記されていて。

ああ、蜷川実花さんだなあ、と思わされた。艶やかじゃないけどこれもまぎれもない彼女だった。

切なく寂しく、でも、あたたかい気持ちになった。

それはきっと、悔いないと彼女が書いていたから。
今まで私は誰も失ったことがないけど、失う時は、そうでありたいと、強く、強く思わされた。

 

https://www.instagram.com/p/BUBSsIDADn-/

 

https://www.instagram.com/p/BUBTfdGgEe6/

 

私が行った日はだいぶ雨で。

原美術館行った人はご存知だと思うのですが、そこそこアクセス悪いんですけど、なのに、人が絶え間なく訪れていて。スーベニアショップは身動きとりづらいくらい人がいて。こんな天気なのに観たいって思われるってすごいなあと、ただその事にも圧倒された。
人を惹きつける何か、ってどうやって生まれるんだろう。

「成長のない物語」の話

昨日のWIREDのミニカンファレンスで、「君の名は。」の話になった。

WIRED日本版の編集長若林さん曰く、「君の名は。」の主人公たちは「成長がない」らしく、だから、大嫌いなのだそうで。登壇者のJerryさんも「あんなに頑張って村を救ったような女の子がなぜつまんないOL担っているの?!アリエナイ!」だそうで。(そしてStay foolish, stay hungry.の話になる)

その視点はだいぶ目から鱗だった。

でもそうやって考えると、だからこそウケたのかな、という気もして、とりとめなく考えたのでまとめてみる。

 

あの話って、そういう視点で見てみると、
「なんとなく」日常を送っていた「ふつう」の二人が、【「運命」を変える運命】に"沿って"【全力】で頑張って「運命」を変える
っていうお話だなあと。

・頑張らなくても運命に出会って全力を尽くして"陰ながら"のヒーローになる
・そのあとそれを受けて劇的に人生が変わる訳ではなく、
 なんとなく運命の人を求めて「足りない」まま生きている
・運命的に再開する、けど、実際に接触するためにはその運命に沿って全力をかける
っていう流れで、「なんとなく」生きてる二人があの瞬間「らしくない」くらい頑張っていて、それはある種の成長と言ってあげてもいいのでは? おじさんたちの評価厳しいのでは? と思わんでもないけど、でも、あれは彼らが頑張ったからどうとかじゃなくて、そういう「運命」だったとまとめてしまえちゃうのがなんか、良くも悪くも「運命」論だなあと。

 

そしてそれをすごーくざっくりまとめると、「大切な人のためには全力で頑張れるけど、そうじゃないとこでは全力で頑張れない」っていう「イマノワカモノ」を反映している感はあるなあと。(昨日のカンファレンスでは「やりたいことがない日本人」的な話だったけど、その「日本人」と私が想定する「そうじゃないとこで全力で頑張れない」は近しい)

ざっくり世の中語っちゃうのってすごく嫌だな。でも、なんか、そういうとこ、私は少なくともあるんだな。

 

そして、これ、『美女と野獣』もそうじゃね? と思ったのでした。
昔の「美女と野獣」の野獣は、もっと愚かで、ベルのおかげで「成長」して行った感があったけど、
今回はただ心閉ざしてたのを似た者同士が寄り添うことでゆとりできましたよ、っていうだけで。それを成長というならそうなんだけど。
ちなみに、「君の名は。」も「美女と野獣」も母親を失った二人だからこそ、同じ欠落を抱えたもの同士が心を通わせやすいからこそ、あの二人であり、あのお話なんだよね。
「家族」という枠の中で失ったものがあるから、「家族」(に至る恋愛関係)でそれを埋めたくなる。そして、まずはそこを埋めて、そこが埋まったから視野を広げられて、大切にできるものが広がる。本当に大切な人ができて、その人を大切に思うならその人のためになることをするよね、それって素敵だよね。みたいな。
これは昔からある話だけど、それがウケていて美しくてって思われるのはやはりそこが欠けちゃダメだよね、っていう機運があるかならのかなあ。と。(「君の名は。」は別にこの構図にフォーカスは一切してないけど)

なお「美女と野獣」は、魔女に対して愚かな態度をとった愚か者達がスタート地点に立てただけ、っていうお話で、実際問題、この視点で考えるとマジでなんの成長もないんだなあと思った。村人達も愚かなまま終わってなんか誰かが救われるって感じがなんもないね。っていう疑いの気持ちでもう一回見たらいやいや全然成長してるやん!ってなるかもしれないからやめておこう。(ちなみに「美女と野獣」私大好きです。ただ半分くらいひたすらエマ・ワトソンの可愛さに悶えていたのでもう一度観に行きたい。)

私は「成長」って嫌いだからそれでいいんちゃうんって思うけど、
なんにせよ、「お話」ってどういう文脈でどう評価するかはあんなに人によって変わるんだな、というのがとても面白かった、というお話。

 

ちなみに、話を広げて見ると下記みたいな話になる。

有休取れなきゃやだ、ワークライフバランス!って言っている新社会人、みたいな記事を最近よく目にするし、ミニカンファレンスでも「日本人はハングリーさが足りない」みたいな話になってたけど、そういうとこ確かにあるなあ、と感じている。(と同時にすごく熱く社会貢献を語る人たちも知っているから十把一絡げに語るのはちょっとやだけど)

それが「経済成長」の成れの果てに「全員成長なんて無理なんだしもうよくない?」て流れなのか、なんなのか、っていうとこは一旦置いておいて、
「もう別に成長とかいいじゃん、手元の生活大事にしたいじゃん」
みたいな空気感は、あるのかなあと、正直思いたい自分がいる。なんでって私が若干そうだから。
世の中良くしたいなあとか貢献したいなあって気持ちはあるけど、そこに邁進できるかっていうと、その手前の「自分の幸せ」がもうちょっと、まだ欲しくて、そこに安住したい自分がいて。多分それは半分は、「それさえ保証されない」っていう脅かされている感じがあるから。その脅かされている感じっていうのは、「頑張って働いたところで大切な人がいなかったら意味ないよね」っていうのもそうだし、「働きすぎて死ぬよりはゆるく働いて世の中の素敵なものにちょっとでも触れてたい」っていう気持ちも正直あるし、「頑張ったとこでそんなに大したことできない」っていう諦めも若干、ある。(諦めきれなくてもがいてみたいから転職したり勉強しようとしてみたりはしているわけだが。)

 

ミニカンファレンスでも「ものづくりが自給自足的になった時に、個々人が本当の必要に迫られて作っているから、万人ウケを狙っている企業がそれに勝てるわけがない」って話とか「企業が"環境問題"って大ふろしきを広げても刺さらなくて、身近にある小さいところからできた物の方が刺さる」っていう話があって、それと似ているのかなと。

「身近なことじゃないと人は動けない」っていうことは今に始まった事ではないんだけど、情報が溢れれば溢れるほど、それって狭くなっているような気もしている。
「なんかいっぱいあるけど、結局自分ゴトってココだよね」っていう「ココ」が、昔は、情報が少ないだけに一足飛びに海外!とかって言えて、少ない情報から選び取ったものがソレだったから海外に行けていたのが、「いやいやだって国内にもこんなにたくさん問題あるのにそれどころじゃないっしょ」って言われたり「いやいややっぱり手元大切にしない人が外見てもね」ってなったりしている、っていうのは、あるのではなかろうか。

そして、私は幼い頃はそういう感覚が全く分からなくて、というのはきっと「大切にしたい自分」がいなかったし、何一つ「脅かされていなかった」からなんだろうなあ。

なんかそう思えるようになった自分に若干感動しつつ絶望をするわけですわ、私は。あの頃の「自分のことなんてどうでもいいじゃん!困ってる人助けたいじゃん!」ていう純粋さも取り戻したいし、ああこうやって「大人」になるんだなあとつまらない気持ちになる今からもどうにか脱出したい。まだしいたけ占いで言う所の「17歳」は持っていたいし、やっぱり社会に目を向けていられる自分でいたい。でもそんな自分でいたのほんとあの一瞬だったな。
金持ちと頭いい人が貧困問題に打って出れるのはそういう「脅かされていない」からなんだろうなあと思いつつ、そういう大枠で思考を止めるのは絶対よくないから、思考止めそうになるこの平民の立場からもっと考えてもっと動きたいなと思いました。

 

うん、収集つかなくなったし安易に拡大するのはよくないなと思ったので、そんな感じで一旦止めてみよう。そして、もうちょっと頭使ってから書かないとだなあと思いつつ、そこまでをやっているであろう評論家達に再度敬意の念を。

 

ミニカンファレンス「ものづくりの「哲学」〜テクノロジーと思索の交差点〜」にいってきた。

続けるって本当すごいな、と思う。「疲れてるからまた今度」で書いてこなかったけど、今日は風邪もましになって久しぶりに色々波に乗ってるから調子乗ったまま書こうと思う。やっぱり私こういうのが好きなんだろうな・・・と思わされたなぁ。

 

今日はWIRED主催のミニカンファレンス「ものづくりの「哲学」〜テクノロジーと思索の交差点〜」に行ってきた。

私は昔から美術はてんでだめで(占いだと芸術肌と言われるの全く信じられない)、クラフトマーケットとか行って「手作りできる人すげー!!!」ってなってテンションが上がる人間なんだけども、だからこそ、ものづくりを支援したい気持ちがすごくある。

なんていうか、すごく頭悪そうだけど、何よりもまず「何かを生み出している」って最高にかっこいいと思ってしまう。それが目の前にあって、それがかっこいいってもうそれは最高でしょう。

この手の話をすると役割分担の話をされ、「だからお前はお前の場所で咲きなさい」と諭されるんだけそれはわかってるから大丈夫。だからこそ私は、ものづくりをする人たちをサポートするってことをやりたいなあ、と常々思っていて、中でも、日本の工芸に関心があって、なんかそこらへん繋がることないかなあ、とぼんやり思いながらミニカンファレンスに行ってきたのでした。前振りが長い。

 

●前提知識:今のものづくりを取り巻く環境

すっごいざっくりまとめると2010年くらいから、これまで自分の手で組み立てるってことができなかった人たちがものづくりをしやすい環境になってきている。
まず、 3Dプリンタという、パソコンでソフトを使って設計図を書いたものを実際に作ってくれちゃうプリンタが登場したおかげで、ものづくりがとても早く・楽になった。
さらにシェアリングエコノミーという、「一人で持つにはコスト高いけど、それをみんなで共有して使えばコスト安くね?」という思想のブームが後押しして、3Dプリンタやらその他工作器具を不特定多数に共有するラボなんかができてきている。DMM.makeなんかは有名。
さらに、クラウドファンディングという、個々人から少額ずつでもお金を募る形で資金を工面することもできるようになったおかげで、ものづくりをするための資金も以前に比べたら容易に調達できるようになった。ハードウェアのクラウドファンディングだとkickstartarというのが有名らしい。初めて聞いた。

個々人がなんでも気軽に作れる時代になって、"maker movement"がきた、という話を元WIRED編集長のクリス・アンダーソンがしたのが2012年頃。邦訳も2012年にされて発売された『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』に詳細が載っている。読みやすくて楽しかったのでオススメ。

日本でも、ハードウェアで起業をする人増えているらしい。

 

●カンファレンスの概要

登壇者は、WIRED日本版の編集長若林さん、Techshop Japan代表の有坂さん、ブレインポータルの高橋さん、慶應大学SFCの学生でモデルのRISAKOさん、Hardware Clubのジェリーさん。

編集長の若林さんが仕切って会話が進行する形のカンファレンスだった。

 

●日本におけるmaker movement

maker movementっていうのは日本ではやっぱりそんなに流行らなくて、起業数も2015年をピークに下がってきつつあるらしい。

起業できても、量産できず、配送の遅延が発生するというのが一個大きい問題としてあるらしい。それに対してはジェリーさんが、アメリカだときちんとマイルストーンを置いて売り切る形で信頼も重ねて徐々に拡大していってるところがあるっていうお話をしていた。計画性の問題・・・なのかな・・・?

あとは販路がないっていうのも問題としてあるっぽかった。

一方で日本でのmaker movementはそもそもが企業として大きくなるとかIPOとかを目的にされることが多くはなくて、ただ生活を充実させるためにファブラボに通う人がいたり、定期的に*個作って必要な人に届ける、であったり、単純に作ってみたいだったり。なんか、そういう「贅沢な形」(byRISAKOさん)が多いし、それはそれで純粋でアリなんではないか、というお話だった。

とはいえ企業がプロトタイプを作るためにTech Shopを使うこともあるんだそう。いろんな人が来るからそれはひとくくりにできない、とはTech shopの有坂さん。

若林さんとしてはそういうのを「なんとなく」だと評していて、それはそれでとてもわかる感覚だなあと思った。

 

●今後の日本のものづくりってどうなっていくのか

極論、理想形としては、個々人がなんでも作れるようになるから「高品質でいいもの」は企業が作って、そうでないものは個々人が作れちゃうんだから淘汰されるんじゃないか。

多分そこに至るには、企業による同一のものの大量生産の今の時代から、多様化少量生産の時期があって、個々人の自給自足の世界になっていくんだろう、と段階がきっとある。でも、そうなった時に、今は大量生産である程度の売り上げを見込めるからプロトタイプをたくさん作って品質を担保できている中で、多様化少量生産の時期にどう品質が保証されるんだろう? とRISAKOさん。

まあその思想と理想形はわかるんだけど、たぶん、細かい話をしていくと、結局デザインできない人たちやその設備を持てない・持ちたくない人たちもたくさんいて、
きっと、そういう人たちのために雛形が氾濫するだろうし、氾濫する中から取捨選択したくない人たちが生き残った体力ある大企業からものを買っていくんだろうなと思う。アパレルは特にそういう形が想像しやすい。

個々の物については、やっぱり少量生産少量販売になっていくんだろうなと思う。そこにうまく食い込んで販路を確保してブランディングしていける中小企業か、複数ブランドを持つorうまくサプライチェーンをコントロールできるなどで工夫して生き残れる大企業が残っていくんかな。

個々の物について結局便利なものを誰かが作ってくれる、その環境に甘んじる人間が大多数だと思うんだよね。自給自足社会の理想はわかるけど、それを「したい」人ってどんくらいいるのかなってお話で。

面倒じゃん絶対。自分で考えて何かしていかなきゃいけないんでしょ。嫌でしょ。

だからこそ、人に寄り添った、本当に必要なものだったり、べんりだったり、愛着がわいたりする、なんか、そういうものが残っていくんだと思う。

 

でも、個々人もたくさん作っていける中で、情報が氾濫する中で、いいものをどう伝えていって生き残っていけばいいのか、って
やっぱりそこは選ぶのめんどくさがる私みたいなのが行きたくなるリアル店舗だったり、目に止まるweb広告だったり店舗だったり、信頼してる人からの口コミだったり、
それはブランディングマーケティング・コミュニケーション全体の話になっていくのかなやっぱり、と思う。

結構複数のレイヤーの話が絡んでくるところだから丁寧に見ていかないといけないけど、ものづくりは素晴らしいけど素敵だけど、確実に戦う相手が多くなっていく。

本当、自給自足でOKになったら確かに私買わなくなる気がするもん。特に服。こだわり始めたらこれがいい!ってなってしまう人間なので、簡単に作れるなら作っちゃいたい。

反動で多分ユニクロとかもかなり売れるんだろうけどね。選ぶのめんどーい考えるのめんどーいユニクロでいいー、みたいな。(disってないよ?)

 

●ものづくりの哲学→倫理観

面白い話たくさんあったけど時間もあれなので、あともう一個面白かったのだけ書いて寝る。

それはものづくりの倫理観。

質疑応答で出た話だったんだけど、例えば、スマートフォンが出て、SNSが発達して、人の生活ってだいぶ変わったじゃないですか。ハードにしろソフトにしろ、ものを作るっていうのは意図するとすまいとにかかわらず、生活を変えることがありうる中で、
誰でも何でも作れるようになった中で、そこってどう考えていくのか、というところ。
またこれRISAKOさんなんだけど、「すごく共感する」と。「仕事で大阪に行くことがあるんだけど、二時間半とか三時間かかるんですよ。それがリニアできたら一時間とかになって、そうすると、私仕事で大阪から帰ってきてからまた仕事しなきゃいけなくなるんですよ」

本当、これに集約されていると思う。「洗濯機だってできて楽になったと思ったのに働けって、それって何なのって思う」「デジタルウェアと言って、デザインを変えられる服っていうのがあって、それの場合は、所有する服が減るってだけなんですね。テクノロジーっていうのはそういう、人の生活をミニマル(持つものを必要最低限にする)にしていくという形で寄与するのは良いものだと思うけど、そうじゃない部分がすごくある。人の生活を「よく」するものを見つけて行くしかないんだと思う」

あー、すげえ共感する、と思ったのがこれ。

結局それはさ、テクノロジーが悪い訳ではないんだ絶対に。

テクノロジーを受けてどう動くかっていうのは、それは経済システムやその時期の社会の趨勢の問題であって、例えば洗濯機が出てきてもお金のある家庭の主婦は楽になっただけなはずなんだよね。

誰でも作れるようになってそれらの形をある程度形作って行く人が誰もいなくなるっていう見え方もあると思うけど、それははるか昔からそうだった訳だ。誰もそんなの望んでないよ、っていう自体がたくさんある訳だ。でもそれはテクノロジーのせいだけではない。決して。そこは結局社会を形作ってどう生きて行くか、人々の問題なんだ。逆に「これが理想でしょ?」って押し付けてくる体力がない人たちが自分の必要に迫られて作って行けるようになるから、そういう自体もへるきがするんだけど、安直すぎるかな。

 

なんかね、こういうことを考えるのが好きなんだ。

ロジカルっぽく哲学っぽく今後どうなるのか、それってどういう意味があるんだっけとかって考えるのが。

にしてはすげえ甘いけど、そういう話をしているのを聞いてすごく久しぶりに空気を吸った気がした。やっぱ転職するんじゃなかったかな、とか思いつつ、楽しかったのに体力の限界で懇親会パスして帰ってきてしまった。(特に何かやりたいことがある訳でもないのでああいうところで誰とどう絡めばいいかわからず、何か意思があってきてる人と話すのはその人の邪魔をしてしまっているようで気がひけるんだよね。どうするのがいいんだろう。)

でもすごく楽しかったしまとめれてない面白い話もあるのでまたまとめたい。

大英自然史博物館展

先週土曜に上野で開催されている大英自然史博物館展に行ってきました。

イギリスのThe Natural History Museumで展示されている所蔵品が展示されています。
(ほぼ本物で、一部だけ模型で、模型の場合はその旨記載があります。)
The Natural History Museumの発展や活動の歴史(それはすなわち世界の研究・探検の歴史なのですが)に着目した展示内容でした。

 

音声ガイドは山田孝之さんでした。
途中専門的な話は専門家の方がお話しくださいましたが、別のナレーターを使うことなく、メインナレーターは山田さんが一人でつとめていらっしゃいました。
以前暁斎展で「教養があれば・・・」と悔やんだのでもちろん使いました音声ガイド。笑
やっぱりキャプションにのりきらない小話とか知識があると面白いですね。
クイズがあって面白いのでオススメです。

 

「これがあの資料集に載っていたあれかー!」という感動やら、
美しいものへの感動やら、未知との遭遇との感動やら、
「感動」の種類が何個かあったので分類してみました。

  

「これがあの!」の感動
やっぱり目玉の始祖鳥は「これがあれか!」っていう感動がありました。
去年白川郷行った時も「これがあの!」という感動があって、「自分って単純だなあ」と思っていたけど、Twitter見てみると同じように「これがあの!」となってる人がちらほらいて、「知識として知っていたものの実物に会う」というのは、人間の感動スイッチの1つなんだなと改めて体感しました。

まあ、そうでなければ今のご時世展覧会にこんなに人は入りませんもんね。
憧れの、会ってみたいと思っていたもの・人に出会う感動と度合いは違えど、根本は同じなのかなあ、と思いました。

 

人の「突き詰める」凄さへの感動
微生物で手紙を書く変態(※褒め言葉)のアーサー・アーランドやら、
たった1つの骨の破片でそれが何のどこの骨が同定するリチャード・オーウェン(モア全身骨格)やら、
亀をペットにする金持ち(ロスチャイルド)やら・・・、
絶対これ着色大変やろって思うけどそれをやり遂げて地層を人々に示しウィリアム・スミスの「ウィルトシャーの地質図」やら。
実物大で正確に・美しく鳥を書いたジョン・オーデュボンがほんっと素敵!!!とありました。 

自分にできない突き抜けた人たちの偉業に感動してきました。
変な人ばかりでした・・・。笑

何かを突き詰めるってすごいな、というのと
研究者って「一つ」を突き詰めているはずなのに、
多くの人が同時並行で他のことも研究していたり功績を残していたりして、
学びっていうのは一つに留まらないものなんだな、ということを改めて突きつけられました。

一つのことだけ知っていてもそのことについて深く学べないんだよな、というのは常々思っていることというか、多分まあ常識なんでしょうけど。
教養があって初めて自分の専門分野の突破口が見えたり専門分野への理解が深まったりするっていうお話なんだろうなあというのが一つ。

それに加えて、それにしてもやっぱりお金のなせる技なのか、時代なのか、
こういうとこに出てくる研究者たちは幼い頃から標本作りが得意だったり何か変な研究していたり住む世界が違うなあとちらっと思ってしまうのでした。
でも思い返せば自分だって貝殻集めるの好きだったしなぁ・・・。
スケールが違えどそれをどう吸収していくか、「学び」に転化させられるか(本人の思考・周りの環境として)というのが鍵なのかなあ、と。思いました。

 

 「冒険」というロマンへの感動
スコット探検隊やらチャレンジャー号やらもうロマンしかないよね。うん。

  

知らないものに出会う感動
こんな美しいものが世の中にはあるんだ!
こんなすごいものがあるんだ! の感動の嵐でした。

世の中は広いのです。そのことに安心する。まだまだ、感動するものに出会う余地があるんだなぁ。

 

美しさへの感動
石類(鉱石・宝石)はやっぱり単純に美しかったけど、
プラシュカによるタコのガラス模型とか、ガラスケースのハチドリみたいに、人の緻密さが生み出した美しさにも触れてきました。
こんなもの生み出せるってすごい。素敵。

あとモルフォチョウはずーーーっと好きだったので見れて幸せでした。

 

技術革新への感動
技術が発展する前からこんなことできてたのすげえなにんげん!!!という感動もあったんですが、今回ITで「こんな見た目でこんな風に動いていただろう」というのを再現したVTRもたくさん展示されていて、それがすごかったです。
テクノロジーの恩恵に預かっているぞ私たち・・・!!!

  

とまあ、いろんな感動に出会えることでしょう!
どの展示もとっても面白く美しく楽しかったので是非。

 

もう少し細かい解説とか小話とかがキャプションか手元資料であれば楽しいけど、
そうしたらもっと混雑するんだろうなぁ・・。でもやっぱり入り口で小話が書いてある小冊子売ってたら多分私買うわ。

土曜の2時過ぎでしたが存外混んでなくて、整理券なしで入れ、
まあまあちゃんとみつつ、2時間で収まりました。

 

Twitterも頑張っていて素敵なので是非。勉強になります。

twitter.com

 

<素敵なレポ>

http://melonpankuma.hatenablog.com/entry/2017/03/20/200000

オオフクチョウのキャプションの「無足の浮遊鳥」ってなんぞ?と思ってググってたどり着きました。勉強になりました。

 

http://blog.imalive7799.com/entry/Daiei-Shizenshi-201703

写真付きで丁寧な感想書かれていて素敵でした。

私もこんな風にわかりやすい感想にまとめたいなぁ・・・。